雨とラジオ

思いついたことを書き留めていくブログ

プロセカは面白いけど、模写が上手い人の宣伝してください欲に言葉も出ない

最近リリースされたプロジェクトセカイカラフルステージ featuring 初音ミク

どんなスマホ音ゲーをやっても正直面白くなかったのだが、このゲームは面白い。

単純に好きな曲が多いのは当然として、チュウニズムっぽいシステムも面白い。

 

前に久しぶりにゲーセンに行った時、店に置いてある音ゲーを一通りやったことがあった。

jubeatとか洗濯機とか色々手を出してみたが、

とても面白かったのがチュウニズムとサウンドボルテックス。

サウンドボルテックスはその後もちょくちょくプレイしている。

ビーマニの精神受け継いでるからからかなぁ、と思った。

KONAMIのゲームやるのだけが心情的に気まずいが我慢してプレイしている。

チュウニズムは最近の流行り曲を直感的にプレイできるのがすごく楽しい。

あと、手を挙げると反応するのが新感覚なゲーム体験だなと思った。

そんな感じでチュウニズムは面白い。

 

ただこれらは全部アーケードゲームなので、

ゲームセンターに行って100円入れないとプレイ出来ない。

家でも音ゲーをやりたかったので色々ダウンロードしてやってみたのだが、

全然ピンとこなかったので止めた。

 

そんな中で遂に自分のピンとくる音ゲーが来たので、

めちゃくちゃ楽しんでやっている。

ゲームの進め方が分からなすぎたり、操作遷移の動線が複雑でだるかったりもするが、

肝心の音ゲーが楽しいので問題ない。

しばらくこのゲームで遊べそうで嬉しい。

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私は絵を描くのが好きだし、割と得意だった。

美術の時間に怒られて授業をサボったりしたが、

先生からは「君は絵を描くのだけは真面目にやっていた」と5段階で評価5をもらった。

高校では友達と自主制作ゲームの絵を少し描いたりしていたし、

机の上の落書きが夥しかった。肝心の勉強はサボって留年した。

 

去年初めてコミケに行ってから、社会人で失われた絵を描きたい衝動が蘇ったので、

また絵を描き始めた。

とりあえず模写をやってみたが、そこそこ上手く描けた。

pixivとかにあげるとそこそこいいねをもらえて嬉しかった。

その後Twitterで神絵師をフォローすると同時に色々な絵描きアカウントもフォローした。

その中に結構いるのが、非常に精巧な模写を描いて、

「いいねとRTください!!」「宣伝してください!!」というツイートだ。

確かに絵は上手い。非常に細かい絵を描いている。

絵の技術に関しては羨ましいくらいだ。

だが、そのスタンスが嫌いだ。

絵をアップして「描きました!!!」と言って、

その後もらったいいねやRTに対して、「ありがとうございます!!!」は良い。

結果に対して感謝しているだけだ。

だが、フォロワー欲しさにその言動を全面に出すのは、

その綺麗な絵を描いている当人の浅ましさが出ていて非常に嫌なのだ。

ドヤ顔をしたいのは分かるが、承認欲求の為に描かれ絵だと思うと途端に感動が下がる。

そして一時期同じようなこと考えて描いた絵をアップしていた自分も非常に嫌になった。

もう少し絵を描くことを自分にとって大事にしたほうがいいな、と自分と他人を見て感じた。

そして、絵を描くって難しいなとも思った。

そんな最近だった。

ゲームは金を稼ぐためのツールになった

ラーメンは、とても美味しい。
美味しいものを味わえるのは、とても単純な幸せだと思う。
子供の頃、親に連れて行ってもらうラーメンも、
友達と映画の帰りに食べるラーメンも美味しかった。

ビデオゲームは、とても面白い。
私達に映画や小説と異なる、新たなエンタメとして夢を教えてくれている。
子供の頃遊んだゲームは今でも七色の思い出だし、
今も新作ゲームに目を輝かせている。

前段を踏んで、実際何が言いたいかというと、
今、これらが金銭を稼ぐためのツールとして扱われていることに、
非常に不満があるということだ。

世界中で動画配信がブームとなっている今、
ゲーム配信も大ブームとなっている。
そしてYoutubeの広告収入による生活が人々の夢となっている今、
人気のゲーム配信は格好のツールとなっている。

分かりやすいのが、ゲームに興味があるのかどうかもよく分からない芸能人が、
こぞってゲームプレイ動画をアップしているところだ。

新たな稼ぎ場所を必死で探すのは良いことなのかもしれない。
新しいことに挑戦するのは良いことかもしれない。
色々な理由でポジティブに考えることは出来るが、
私はどうしても、仄暗い不信感が拭えない。
「この人達は、流行りのゲームを配信して、人気と金銭を得たいだけなのではないか」と。

先にも書いたが、私はビデオゲームは映画(演劇も含める)や小説から発展した、
次世代のエンタメだと昔から考えている。
小説は文章から世界と夢を読み手に与えてきた。。
演劇は、目に見える映像と音を見るものに与えた。
そしてゲームは、自ら物語を切り開く選択肢をプレイヤーに与えた。
ゲーム機が登場してしばらくは子供のおもちゃとして扱われてきたが、
今は小説や演劇と同様に社会に注目されるようになった。
分かりやすいのは開発費だろう。
現在のゲームの開発費は、AAAタイトルの場合100億円にものぼる。
技術の発展に伴い、費用が高騰していることにも関係しているが、
人気タイトルであれば発売日に回収できることからも、もはや現実的な開発規模であるということだ。
GTAは300億円の開発費を発売日に回収した)

ゲームは私達に多くの夢を与えてくれたものだ。
しかし、今そのゲームはただツールとして使われている気がしてならない。
購入したゲームにどれほどの夢を抱いているのか。
ゲームの発展をどれほど喜んでいるのか。未来を見ているのか。

ゲーム配信は今まで興味のなかった人がゲームを始めるよいきっかけかもしれないし、
見た人がゲームを始めるよいきっかけかもしれない。
ゲーム会社は喜んでいるのかもしれない。
だが、どうしても考えてしまう。この人達はゲームが好きなのではないか、と。

願わくば配信を行っている人たちが、ゲームを愛し、ゲーム会社を愛し、
ゲーム業界を愛する人達であることを、ただただ願う。

 

休職して半年経ったので、以前の自分の日記を見たら地獄だった

私は現在休職している。

原因は担当プロジェクトでの私のミスが重なり、毎日のように指摘を食らい、そのスケジュールに耐えられなくなった為だ。

診断は適応障害だった。

自分の会社はブラック会社どころか、ホワイトに近い会社である。

社長の気さくさにひかれて入社した。

同僚も同年代が多く、みな気さくに話せるよい間柄だった。

年に一度の社員旅行もあり、賑わいのある会社だった。

 

問題があったのは自分だった。

自分は転職を2度している。

一度目は自身の知人にはうつ病と話して、結局本当のことは話せていないが、

勤怠不良のためだった。

2年と少し勤務したが休まない月はなかった。

おかげで一年目から欠勤がついた。

遅刻も多く、昼の研修時間に起きていられずトイレで寝てしまうこともあった。

先輩からは不審の目を浴びているのがよく分かっていた。

助けてくれた先輩もいたが、その先輩の信頼を裏切る自分がとても嫌いだった。

結局3年目の8月、勤務不良が親に伝わった。

自身のお金の管理も上手く出来ず、借金は100万円程あった。

親と話し合った翌日に会社を辞め、地元に帰った。

借金100万円は親の積立で返してもらった。

自分の社会人スタートは散々たるものだった。

 

その後、地元の飲食店で契約社員として働いた。

週5の12時間労働は非常にキツかったが、何とか親に100万円を返した。

働き始めてから1年後、転職を考えだした。単純に仕事がキツかったためだ。

元々高専出身でプログラムに理解があったため、IT企業に応募した。

応募した1社目が今の会社だった。受かったときは非常に安心したのを覚えている。

 

入った今の会社は和気あいあいとして楽しい雰囲気があった。

しかし、私は再び欠勤と遅刻を繰り返すようになった。

社長が社員を大事にすることを常としていたため、

私は入社4年目だが、クビになってもおかしくない位だ。

お金の管理が杜撰なのは相変わらずで、今も50万ほど借金がある。

 

社会人を始めたときから、私はひたすらに罪悪感に苛まれている。

まともに仕事ができない、生活もまともに送れない。

恩人の期待を裏切り続ける自分への失望感は、暗く腹の下に溜まっていった。

 

そして今年。

3年続けたプロジェクトが終わり、別のプロジェクトへ移管されることになった。

移管先の上司は気さくな人だったが、仕事には厳しい真面目な人だった。実績もある人だ。

私もお家に伺って夕飯をご馳走になる位にはお世話になっていた。

私は相変わらず欠勤と遅刻の常習だった。

その点にはあまり上司は触れてこなかったが、

仕事の実力においては非常に指摘を受けた。

IT業界は毎日勉強を続ける気概が無いとやっていけない業界である。

私は仕事で困った場合に都度勉強はしていたが、それだけだった。

上司が求める能力に欠けていた。

上司からの指摘に対しひたすら頷き、修正を繰り返していた。

プロジェクトが始まってから半年。私は提出した作業計画から大幅な遅れを取っていた。

上司も作業計画の遅れに業を煮やしていたと思う。私への叱責は強くなっていった。

自分も、遅れる作業計画と他メンバーへの負担で罪悪感は一層積み上がっていった。

そして5月のGW直前。私はベッドから起き上がれなかった。

腹痛に頭痛、顔を上げるのも嫌になっていた。作り笑いも出来なかった。

その日は会社を休み、GWは実家に帰らず一人暮らしのアパートで寝ていた。

悪夢も見るようになった。初めて自分が死んだり他人を殺したりするような夢を見た。

結局GW終盤になっても外へ出ることが出来ず、

休職させてもらうことになった。

 

半年が経過して、当時よりはだいぶマシになった。

休職中の傷病手当金申請のため、会社とはSlackを用いて連絡を取っているのだが、

不意に見てみたくなったものがあった。

Slackにはアカウントを作成した際に個人のプライベートルームが用意される。

誰にも見られないので、そこに毎日の記録を残していた。

「休職前の自分はどのようなことを書いていたか」

自分の現状を見返す上でも少し見てみようと思ったのだ。

 

プライベートルームの毎日の記録には、正直言って絶句した。

毎日「死にたい」と呟き、「今日の自分のどこがダメだったか」「どれだけ人に迷惑をかけたか」「明日以降自分はどこを直せばよいか」などが延々書かれていた。

自信の事を反省し、改善点を洗い出すのは良いことだと思う。

だがこの記録はそのような内容ではなかった。

自分を否定し、自分を恨み、如何に自分が無価値であるかを諭すような内容が書かれていた。

途中まで読んでいるところで、吐き気がしたので読むのを止めた。

まるで以前の自分と同期しているような感覚が来て、フラッシュバックを起こしたためだ。

 

改善したと思っていた。

また何かを始められると思っていた。

だが、私は何も変わっていない。

ベッドから起き上がれなかった自分から何も変わっていない。

ずっと何かに怯えて生きているようだ。

半年間、前に進む方法を考えて少しづつ実行してきたが、

私は未だ、沼の中にいるようだ。

小説 「海の幼馴染」

海で保安員の仕事をしていたら、久々に見た幼なじみの女の子。
昔からカナヅチで、俺に引っ付いてビービー泣いていた。
今は髪も伸び手足もスラッとしていて、随分綺麗になったようだ。
ふと目が合うと足早に近づいてきて手を取り、岩場の陰に連れていかれた。
話を聞くと未だに泳げないらしく、泳ぎを教えてほしいと言ってきた。
友達に練習に付き合ってもらうのは恥ずかしいらしい。
渋々付き合い始めたが、毎日女の子のお尻を見ているんじゃないかと、口端を釣り上げながら幼なじみはからかってきた。
確かに炎天下の中、可愛い女の子が通り過ぎると目端で追ってしまう。
だが俺は目の前の身体が魅力的だったため、あまりそのセリフは耳に入って来なかった。
そしてそのからかった態度が俺の何かを切り替えたのか、気付くと幼なじみの尻を鷲掴みにしていた。
幼なじみは絶句しつつも飛び上がり、バレーのクイックさながらに俺の頬を平手打った。
頭から湯気でも出さんばかりにカンカンになって帰っていく、その背を見ながら俺は思った。
「楽しくなるかな、今年は。」

 

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あとがき

ネタが思い付かなかったので、メモで取ってあったものを掲載します。

これからも記事のネタに困ったら投稿します。

唐突に思いついて唐突に書き出すしかないので、

文豪と呼ばれる方々は凄いなぁと思います。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

これまでバッチリ泣いた映画は、帰ってきたドラえもんだけだった。

そして2020年、バッチリ泣いた映画は2作になった。

それが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝~永遠と自動手記人形~」だ。

そして、先日公開された「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で3作目となった。

 

こんなに泣く作品も初めてのような気がする。

映画を見ているときは嗚咽を漏らさぬよう必死だった。

生涯忘れたくないお話だと思う。

今回で話は終わったが、これからも時々この作品のことを振り返りたい。

なんなら許可をもらって特別上映会を催したい。

 

本編と外伝、劇場版を見終わったので原作の小説を近いうちに読んでみようと思う。

劇場版のパンフレットのに書いてある原作者からのメッセージを見て泣きそうになったので、きっと小説を読んでも泣けるのだろうと期待している。

 

こんな駄文ではあまり興味を持ってもらえないだろうが、

期待以上の作品であることは間違いないので、

是非ご覧になっていただきたい。

それでは。

 

麻薬ってそもそも何で禁止されてるの?

2020年9月8日、伊勢谷友介さんが大麻取締法違反の容疑で逮捕されました。

私自身、そんなに伊勢谷さんの事をよく知らないのですが、

まぁまぁテレビで名前を聞く方が逮捕されたので、翌日には耳に入りました。

昨今、芸能人のこういった醜聞は非常に味わい尽くされる印象があるので、

Twitter界隈では盛り上がっていましたね。

行きつけの飲み屋の店長はるろ剣が好きで、

「劇場版どうなるんやろ...」と嘆いていました。

 

色々と伊勢谷さんに対する意見や、大麻について取り沙汰されていますが、

最近疑問に思うことが一つあります。

それが、タイトルにもしました「麻薬ってそもそも何で禁止されてるの?」です。

 

自分が知っている非常に危険な薬物っていうと、

覚醒剤ヒロポンとかです。

あれらはごく少量の使用でも依存性が高く、

幻覚や幻聴、心神喪失といった重度の症状を発症しやすい点。

更に薬自体が高額な為、反社会勢力の資金源として使われやすい点が法律で禁止される理由だと思っています。(ここらへんはちゃんと調べていないので間違っているかもしれません。)

コカインなんかも反社会勢力の資金源としての面が強いせいが大きいと思っています。

 

ただ、大麻に関しては正直自分はあまり良く分かっていないです。

確かに依存性はあるだろうし、薬事法にそもそも触れてるのかもなぁ位の知識しかないです。

ここで自分が知りたいと思っていることは、

タバコや酒、パチンコ、ガチャなんかもそうですが、依存性が確認されているものやある程度法律に触れているものとの差は何なのかというところです。

私はタバコは現在も吸っていますから依存性については肌で感じています。

パチンコは辞めましたがあれも非常に依存性が強いです。

酒はアルコール依存症という病名がハッキリしています。

ガチャは明言こそされていませんが、一般家庭の小学生が10万単位のお金を親の了解無く使うのはまずいと思います。

他にも自分の知らない依存性の強いものは沢山あると思いますが、

明確に麻薬が「禁止」されているのは何でなのか?

「麻薬はダメ!絶対ダメ!」というのは、まぁ日本の法律で禁止されているので良識的な意見だと思います。

ただ、「麻薬をやったやつは人間のクズ。社会に出てくんな。死ね。」の

ような意見も散見されますが、私はこれがハッキリ言って嫌いです。

私はロバート・ダウニーJrが好きです。

彼も幾度となく薬物に手を出しましたが、なんとか復帰して皆を喜ばせている

良い存在だと思います。

過ちは犯しても適切な更生が出来れば十分に素晴らしい人生を歩めると思います。

それを脅かすのは後者の意見を持つ方達です。

 

ただ、後者の意見も分かります。

前者の意見の方は、ただ啓発ポスターを鵜呑みにしている可能性があります。

何を隠そう自分がそうです。だって何でダメなのか知らないのですから。

明日から「カフェインはダメ!絶対ダメ」なんて掲示が出たら、

カフェに突撃する方もいるかもしれません。

カフェインにも依存性の話はありますから、間違いではない可能性があるので。

 

ここで間違いを犯さないことが大事だと思います。

この間違いというのは、薬物を使用することではなく、あいまいな知識から出した根拠の無い意見を声高に言いふらしてしまうことです。

薬物が危険であることを、正しい知識に基づく根拠のある意見として発信することが大事だと思います。

その一歩として、「大麻とは何なのか?」ということをよく調べてみたいです。

 

ここまで長々書きましたが、実はまだ大麻についてちゃんと調べていません。

正しい知識を集めるのはそれなりに時間を要すると思うので、資料等よく調べて記事にしたいと思います。

今回はその前フリとして記事にしました。

 

この記事をご覧になられた方で大麻についてあまり良く知らなかった方は、是非ご自分でも調べて頂きたいです。

大麻についてのある程度の知識、取締法についてご存じの方は是非教えて頂きたいです。

 

なるたけ早く調べて記事に出来るようにしますので、お待ち下さい。

それでは。

初恋の味は血反吐

みなさんは大雨の降る夜に来ない待ち人を待ち続けた経験があるだろうか。

私はある。

新卒で上京したころ、私は初恋の人と待ち合わせをしていた。

 

私は20年来年賀状を送り続けている女の子がいた。

それが初恋の人だった。

初めて会ったのは幼稚園の頃で、一目惚れだった。

しかし程なくして小学校の頃、引っ越しで東京へ行ってしまった。

彼女に自分のことを忘れてほしくなかった私は親づてで住所を教えてもらい、

毎年年賀状を送ることにした。

それからは一年に一度教えてもらえる彼女の近況を知るのがとても楽しみだった。

 

そして21歳の正月、東京への就職が決まった私はその旨を年賀状に綴った。

すると3が日の夕方、携帯に見知らぬ番号から電話がかかってきた。

電話を取ると、それは彼女だった。

「会おうか。」

就職の祝いの言葉、久しぶりに声を聴いたお互いの懐かしさ、

それ以上にその言葉に震えていた。

 

上京した私は研修先の横浜で待ち合わせをし、終業後に待ち合わせ場所へと向かった。

茶店にいた彼女はとても綺麗になっていた。

あまり上手く話すことはできなかったが、昔と変わらない懐かしい笑顔が見れて泣きそうだった。

その週の土曜に私が誕生日であることを伝えると、

お祝いをしようという事になり、土曜はデートの約束になった。

人生で初めてのデートの約束だった。

 

当日は午前中から髪を切りに行き、なるべく服装を整えて、待ち合わせ場所のショッピングモールへ向かった。

昼ころに彼女から連絡があり、遅れるとのことだった。

無理せず夕食を一緒にするだけにしようと提案し、夜まで待った。

 

そして冒頭へ戻る。

21時を過ぎたが、彼女とは連絡がつかなかった。

ショッピングモールのお店も明かりを消す店が出だした。

何かあったのかもしれないと彼女の母親に連絡を取ったが、

外出してから特に連絡は来ていないとのことだった。

23時過ぎまで待ったところで、私は家に帰ることにした。

それから布団にくるまり、彼女の連絡を待った。

久しぶりにあったときに何か悪いことをしたか?

何か外せない用事が出来てしまったのか?

様々な憶測を巡らせながら彼女の連絡を待った。

しかし、その日の連絡が彼女との最後になった。

 

私は翌日風邪を引き、月曜まで治らず会社を休んだ。

そして2年後に会社を辞め、地元に帰った。

それから1年後、彼女が婚約したのをSNSで知った。

 

先日、夢に彼女が出てきた。

私は雨の中にいた。

彼女が何を喋っていたかは分からないが、

見たくない彼女の笑顔を振り払うように夢から覚めた。

それがこの記事を書くに至った動機だ。

 

今でも、何故あの日会えなかったのか考える時がある。

自分が夢に描いた人生計画はあの日全て崩れ去り、

今も何をして生きていこうかばかり考えている。

きっと何を間違ったわけでもない。お互いそういう人生だったのだろう。

 

それでも、見つからない答えを心の奥底でずっと探しているのだと、そう思う。